政策

2014年10月24日金曜日

後援会広報紙「ひまわり」インタビュー

後援会の広報紙「ひまわり」の編集部からインタビューを受けました

○ご家族は
 妻と、中学生の子が二人、それと私の母親がいましたが今年施設に入所しました。

○家事をよくおやりになるとか
 うちは共働きなので、家事は家族で分担していますが、掃除洗濯からご飯の用意まで私が8割ぐらいやっています。元々子どもの時からしていたので苦にはならないというかどちらかというと好きですね。ですから、消費税8%後は価格の表示が税抜きになって不便だとか、円安などの影響も加わって物価が軒並み上がり家計のやりくりが大変だとかを実感します。消費税10%は生活破壊です。増税は絶対にやめさせなければと思っています。

○お母様は施設入居とのことですが、それまで自宅介護ですか
 一時病院に入院していましたが、それまで5年ほどはデイサービスに通ったりしながら家で介護していました。入浴と排泄の世話は大変でした。自宅介護の状況は肌に感じています。うちは妻も子どもいましたし、母の世話もみんな協力してくれたので乗り切れましたが、介護者が一人で、まして高齢の老老介護は想像を絶するほど大変だと思います。

○高齢者支援対策の充実が求められているということですね。
北広島市でも独居高齢者が千4百人、高齢夫婦のみで生活している人が5千人、特別養護老人ホーム(特養)の待機者は2百人以上いるとのことです。

市民の皆さんとお話ししても老後のことが心配という方がとても多いです。安心して住み続けていけるための市の施策の充実が求められます。来年の一斉地方選挙は市政転換の大きな機会です。皆さんのご支援ご協力をお願いしたいと思います。一緒に頑張りましょう。

2014年10月17日金曜日

~私の原点~平和・核兵器廃絶

高校の時に平和活動に参加したのは母の体験に影響を受けたから。
 当時女学生だった私の母は、戦争中、横浜から広島近郊に疎開していました。8月6日、母は市内に勤労動員で行く予定だったのですが、体の調子が悪く疎開先の家で休んでいた時、突然大きな音がして家の窓ガラスが割れ、外を見ると広島市の方にキノコ雲が見えたそうです。
 その後は全身焼けただれた人であふれかえり地獄絵のようだったと、子どもの私に話してくれました。 あの時、母が広島市内に行っていたら今の私はいなかったのです。
 原爆が投下されていなければ、戦争が行われていなければ ―― 私と同じように生きてこれた人が何十万、何百万といたことでしょう。今、生を授かることができた私にできることは、二度とこの過ちを繰り返さないようにすることです。

 広島の原爆死没者慰霊碑「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」は人類全体の平和のいしずえであり、私の原点なのです。